冬・野菜

色々ある大根品種。各大根の特徴や歴史

大根の分類と品種

大根を知らに人はいないと思いますが、一般的に使っている大根の品種は知っていますか?

日本では大根の品種は100種以上あると言われています。日本には弥生時代に朝鮮半島から伝播してきたと言われ、歴史のある大根は様々な改良が行われ、より良い大根が選別されてきました。

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今回は一般的家庭で使われる大根品種、和食屋などで使われる大根品種の特徴を紹介していきます。

大根品種 大まかな分類

大根基本品種

日本で栽培されている大根の品種は大まかに17に分類できます。

これから紹介していく大根に○○群と書かれている箇所がありますが、上の17に分類されたものとなります。

大根品種 青首大根

青首大根

現在主流の大根品種です。皆さんがスーパーなどで見る大根はこの青首大根です。

国内の大根流通量の90%以上は青首大根となっています。

青首大根には様々な品種がありますが多くの青首大根は宮重大根(みやしげだいこん)がベースとなり作られた大根です。この種は品種で辛みが少なく甘みが強い、そして収穫作業が他の大根に比べると楽であった事から昭和50年代急速に日本全国に普及しました。

根の白い部分が成長につれ地表からせり出してきて、引き抜くのがたやすいので収穫が楽だとされました。

青首大根の主流の一つに宮重群に属す宮重総太があります。この宮重総太よりやや長めに作られた宮重長太があり、その他青首大根には病気に強い品種の耐病総太などがあります。

一言に青首大根と言っても、青首大根の中にも様々な品種があります。

大根の旬

品種種まきの時期により異なるが一般的に秋から冬

宮重大根とは

尾張大根の代表品種で後で紹介する聖護院大根も元を辿れば尾張大根。

宮重大根は江戸時代から栽培されていた青首大根。

昭和20年代までは広く普及。しかし、病気に弱いなどの問題があり、作りやすい白首大根にシェアを奪われて宮重の生産量は減少していき生産されなくなります。

平成に入り『宮重大根純種子保存会』生産され、宮重大根の育成等の講習が開かれているようです。

大根品種 白首大根

三浦大根

青首大根との一番の違いは根が全て地中に埋まっていて、真っ白だという事です。青首大根は名の通り根の付け根は緑色ですが、白首大根はこの部分も白いです。

1本あたり4㌔程度と重く、根の真ん中あたりが膨らんでいるという特徴を持っています。

辛みが強く煮崩れしにくい大根です。

昭和50年代以前、日本では白首大根が主流でした。

青首大根に比べると辛味や苦味があり、味、生産性の違いから青首大根が主流になりました。

一時は白首大根の生産量が激減しましたが、近年は伝統野菜として注目を集め生産農家が増えているようです。

白首大根 三浦大根

三浦大根の天日干し

白首大根の主な品種に三浦大根があげられるでしょう。三浦大根は練馬群の大根に分類されます。主に神奈川県三浦半島で栽培され、かつては三浦半島の大根の主力商品であったが昭和50年代青首大根の台頭で数を減らし現在では地域の出荷量全体の1%程度になってしまい正月用の食材とし流通する。

三浦大根は寒さに強くすの入りが遅く正月のなます用として利用される事が多い。また煮崩れしにくい特徴からおでんや風呂吹き大根にされる事も多い大根。

歴史深い練馬大根

白首大根の品種で忘れてはいけないのがこの練馬大根でしょう。練馬大根の歴史は古く元禄時代から栽培され「大根の練馬か、練馬の大根か」と言われる程、世に浸透していた大根である。

白首大根の一種で長さは約80~100cm、重さ1~2キロほどで重いものでは4キロにもなる。近年出回っている一般的な青首大根のおよそ2倍ほどの長さになる。青首系は地上に伸びる性質であるが白首系は地中に深く根を張る性質がある。そのため引っこ抜きにくく収穫に非常に手間がかかるのも特徴である。練馬地区の表土は深く、土壌は関東ロームと呼ばれる褐色の赤土の上に積もった枯葉などが腐植してできた黒ボク土であったことから栽培適地であり優れた大根が生産され国内有数の産地となった。しかし現在では産地や生産者は激減し「幻の大根」と称されるようにもなった。「江戸東京野菜」の一つである。

純粋な練馬大根は沢庵漬け専用の「練馬尻細大根」と生のまま売る用の「練馬秋づまり大根」(煮食用。べったら漬け、糠味噌漬けにも用いる)の2種であったが、品種改良により多くの練馬大根が誕生した。また練馬大根の種を祖先としてなる様々な品種が全国各地に広まった。ちなみに100cm程に大きく成長するのは「尻細大根」であり「練馬秋づまり大根」は40cmほどと一般的な大根と大きさはあまり変わらない。

練馬大根歴史

文献での所見は1683年(天保3年)の地誌「紫の一本」(戸田茂唾編)に「ねりま大根、岩附牛蒡、笠井菜、芝海老、千住葱、とりかえとりかえ馳走する」とある。

練馬大根という名称には諸説ありますが

徳川綱吉が将軍となる前の1677年(延宝5年)江戸患い(ビタミン不足による脚気など)を患った。症状の回復が芳しくなかったため陰陽師に占う。その名の右馬頭(当時の日本の官職名で馬寮の長である)に因んで、馬という字のつくところで養生すればよいということを受け、方角的にもよい下練馬村に御殿をたてて療養をすることとなる。病が癒える頃尾張(現愛知県)から大根の種を取り寄せて、練馬の農家である大木金兵衛に栽培をさせると、立派な大根ができた。帰城後も大木金兵衛に大根を作らせ献上させた。これを綱吉は練馬大根と命名したという説。綱吉はさらに東海寺の僧であった沢庵に貯蔵のしかたを請ぜさせたという。

練馬大根の発展と衰退

江戸時代の元禄期(1688年~1704年)に練馬大根の栽培も盛んになる。当時100万人を超える世界一の人口を誇る都市、江戸で練馬大根の栽培も発展。当時の肥料は江戸の下肥(人糞)で野菜を納める代わりに受け取る貴重なものであった。大都市江戸だからこその大量の下肥も練馬大根が発展できた大きな要因となっている。また練馬から江戸まで15㎞ほどと出荷し下肥をこさえ日帰りで戻る事が出来たため、流通の面もよかったと言える。

1730年(享保15年)の料理書「料理網目調味抄」には武州のねりま(略)二十日ばかり干して・・・」とあり、練馬大根の「沢庵漬け」が知られるようになっていたことをうかがわせる。

江戸時代末期には盛岡藩の文献にも練馬大根の名前が出てくるほど有名になっていたとされる。

江戸後期の小説家で「南総里見八犬伝」の著者である滝沢馬琴も練馬大根を常食していた記録がある。それは「馬琴日記」の1831年(天保2年)11月10日の項によるもので汲み取りと干し大根の事が詳細に記されている。また1832年(天保3年)12月、同年4年の11月の項にも記述があり、滝沢馬琴が沢庵を常用していた記録でもある。

明治の中頃から東京の市街地が拡大していくのに伴い練馬大根の生産も一層拡大し、練馬大根は沢庵漬けとして製品にされ出荷されていた。また干し大根としても販売され、一般家庭でもたくあん漬けが作られました。

1877年(明治10年)に行われた第一回内国勧業博覧会では当時の練馬村の農家がたくあん漬けを出品し絶賛をされた記録が残っている。

日清戦争(1894年~1895年)時より沢庵が軍隊に納められ需要が増し、1894年(明治27年)の時事新聞には漬物が高騰し沢庵漬け100樽57~58円だったものが10円近くになったとある。また1973年(昭和48年)刊の「東京百年史」にはによると、1903年(明治36年)には1樽1円49銭だった沢庵が日露戦争が始まった1904年(明治37年)には1樽2円39銭となっている。日露戦争により練馬の沢庵も軍隊に納められたことから、価格が高騰したものと思われる。以後練馬の沢庵は工場や学校などの人が集まる施設などに年を追って多量に出荷されていき、ついには国外にも発送されるようになり最盛期を迎えることとなる。

1918年(大正7年)の「北豊嶋群誌」に上練馬村は下練馬村と共に天下に著れたる大根の産地とし全村殆ど之が耕作に従事す。とあるように練馬村はほぼ全域で大根の生産に着手していたことが分かる。

大正期(1912年~1926年)に入り交通機関の発展により、練馬の大根は沢庵として東北地方や中国地方にまで輸出された。他アメリカなどにも輸出できるようになり販路が大きく拡大したことが報告されている。これは大正期に鉄道が多く開通したことによる影響が大きいとされる。

練馬大根の最盛期は明治末より昭和の初め、約25年程度と考えられている。

昭和初期3000軒の農家が作っていたとされ、昭和の初めの頃まで練馬大根は盛んに栽培され続けますが、昭和8年の大間伐、モザイク病の大発生により練馬大根の栽培は大きなダメージを受けることになります。その後も食生活の洋風化や急激な都市開発による農地の減少などにより昭和30年頃から衰退し、かつて名物と言われた練馬大根が出回る事がほとんどなくなってしまいました。

練馬区では大根の生産が激減していく中でキャベツの栽培が主になり現在の主要農産物はキャベツになっています。練馬大根は栽培に90日~100日程度。青首大根60日程度と比べ長いことも敬遠される要因の一つであった。また昭和49年の「耐病総太り」というF₁品種の登場も衰退の一要因となったと考えられる。その後、衰退の一途をたどりほぼ消滅に近い状態にまでなり幻の大根とまで言われたが、現在は地域や自治体、農家が協力し復活に向けて様々な取り組みが行われている。

練馬大根のプチ情報

  • 江戸時代の参勤交代により地方に練馬大根の種を持ち帰り栽培したことから練馬大根の種から地方でそれぞれの品種が改良され生まれた。また明治以降に練馬大根から「大蔵大根」や「三浦大根」などが生まれた。
  • 練馬区にある愛染院境内の梵鐘の礎石には、漬物石が使用されている。また同院に1940年頃に建てられた高さ3mの「練馬大根碑」には練馬大根の歴史が刻まれている。
  • 練馬大根ブラザーズというアニメが2006年1月からにテレビ東京で放送されていた。
  • JA東京あおばで練馬大根ドレッシングが販売されている。
  • 大根おろしをたっぷりと使った和風の「練馬大根スパゲティ」は練馬オリジナルの学校給食メニューとして人気である。大根菜を絡めたスパゲッティにたっぷりの大根おろしとツナを合わせたソースをかけ、刻みのりを散らしたメニュー。他に練馬大根を使ったマーボー大根というメニューもある。
  • 練馬区役所の20階にある練馬展望レストランでは練馬大根グラタンを食べることができる。
  • 木村屋では練馬大根饅頭という商品が販売されている。
  • 練馬区にある窪田屋商店では練馬大根を副原料に使った「練馬大根 発泡酒」が期間限定で毎年販売されている。
  • 練馬の芸人に「ねりまだいこん。」というコンビがいる。ちなみに練馬区の漬物親善大使でもある。ちなみにボケ担当の影山はいつも大根の着ぐるみを着ている。この大根の着ぐるみは2016年に盗難被害に遭った経緯がある。
  • 練馬区では毎年12月頃に「練馬大根引っこ抜き競技大会」が開催されている。また平成元年から「練馬大根育成事業」を実施しており練馬大根の推進に励んでいる。男女の部があり90秒間で何本引き抜けるかを競う。

「古事記」の中の仁徳記で仁徳天皇は白い腕を大根と表現し、練馬大根の様に白くすらっとした足を大根足と指しており、大根足というのは本来誉め言葉であった。現在の一般の大根足の解釈と違いすらっと長く真っ白な練馬大根のような足は美しいということをうたっているのである。

また古い川柳に「花の雨 ねりまのあとに 干し大根」というのがある。春の花見の席で急な雨が降った折、花見客が逃げ出す風景に、女性が着物の裾をからげて走り出すと、白くて細い足が顕になる一方、そのあとに見えてきた年増の人の足を干し大根として詠んだものである。

京野菜 聖護院大根

聖護院大根

家庭で使用される事は少ないかもしれないが和食屋では冬になると必ずと言ってよい程使われる聖護院大根。

宮重郡に属す大根。形は短系で球形の大根であり、地表に出る部分は淡い緑色を呈する。直径18cm前後で重さは1~2kg、大きいものだと3~4kgにもなる。葉はギザギザになっており葉のつけ根の茎には鋸状に小さく三角形に近い形の葉がついている。聖護院カブとよく似ているが、聖護院カブは真っ白であるのと、葉はギザギザになっていないため見分けがつく。

「京都の伝統野菜」と「ブランド京野菜」に指定されています。本来京都で作られたものだけが聖護院大根ですが、他で作られた丸大根も聖護院大根として販売しているのを目にすることがあります。また淀地域で収穫された聖護院大根は特に品質が良いため「淀大根」という名前で区別されるほどである。

また栄養的な部分としては食物繊維が一般の青首大根よりも多く腸内環境を整えるのに効果的。また大根の辛み成分とされているイソチアシネート(ガン抑制に効果的とされる)が一般の大根の2倍も含まれている。(ただ聖護院大根は辛味は少ない)

聖護院大根は青首大根と比べ繊維が少なく、肉質は柔らかいのだが煮崩れしにくいのが特徴で辛みや大根臭さが少ない。甘みがあり煮物料理に適している。聖護院カブに近い甘味とまろやかさがある。煮物の他にも漬物も千枚漬けなどにも用いられる。また生のままサラダなどに用いても歯触りが良くおいしい、なますにもあう。冬のおばんざいには欠かせない材料で豚肉やがんもとの炊き合わせにも用いられます。ただ水分が多いためおろしには向いていません。

毎年冬の時期、千本釈迦堂(大報恩寺)では毎年12月7、8日、鳴滝の了徳寺では12月の9日、10日に大根炊き(大根煮をふるまう行事)を行っている。釈迦堂では(聖護院大根でつくることが恒例とされている。)聖護院大根に梵字を書き加持祈祷が行われた後大釜で炊かれ参拝者がいただきます。これを食べると無病息災になると言われています。

京丹後市の特産品で「イカ干し」という物があるが、これは規格外の大根を独特の切り方で加工し京野菜の「干し聖護院大根」である。

聖護院大根の旬

10月下旬~2月

聖護院大根の歴史

江戸時代の末期である文政年間(1820年代位)に尾張(現在の名古屋)から京都聖護院の東、黒谷の金戒光明寺に長大根2本が奉納され、この大根を聖護院(現京都府京都市左京区)に住む田中家喜兵衛という篤農家がこれを見てそれまで聖護院で育った大根よりはるかに大きくて驚き、懇意であった門主からもらい受けて栽培を始めた。原種は尾張の「宮重大根」とされる。長年栽培しているうちに短系が生まれ現在の丸形へと変わっていったとされる。京都のその地は耕土が浅く土中深く根を伸ばせないため、その環境に適した形に代わっていったのではないかとされる。

幕末に刊行された「花落陽名称図会」(1864年)には聖護院大根の収穫の様子描写されている。説明にはこう書かれていいます「此辺、岡崎、聖護院等の村民八、菜蔬を作るのに精しく、毎年仲春より瓜、茄子の初物を出し、また近来、尾張種の太蘿匐をつくり得て、例歳十月のころ、日毎に市に荷ふて売事しばしばなり。都人、これを求て風炉吹の味噌つけ、或八油豆腐と共に煮て羹とし、会式十夜溝の料理に用いること、例式となりて、都下一箇の奇玩となれり。」とあります。

「ここから岡崎や聖護院などの人々が蔬菜栽培に詳しく毎年2月からウリやナスの初物を出しており普通よりも早く収穫する技術を持っていたとされ、尾張の大根を改良して「太大根」なるものを作り、毎年10月(陰暦)頃には市で売っていたとある。京都の人々が風炉吹き大根にして食べたり、油揚げと一緒に炊いたりしていた」と記されています。「花落陽名称図会」には現在の丸い形ではなく太った大根が描かれている為、当時の聖護院大根はまだ丸くなく太った形をした大根であったと考えられます。

昭和初期になると、京都市の南にある御牧村淀地区(現久御山町付近)での栽培が盛んになり品質の良い聖護院大根が収穫されたことから現在でも淀大根と言われています。現在では北は岩手県、南は大分県まで全国で広く栽培されています。

世界一大きい大根品種桜島大根

桜島大根

世界一大きい大根としてギネスにも認定された大根で世界一と認定された大根の重さは31.1kg。

大きな大根品種ですがスーパーなどで見かけることはないです。和食屋で働いていても数回しか使ったことの無い品種です。桜島大根は年間約2万4000株程で生産者は現在は10人程で非常に希少な大根品種となっています。

桜島大根は主に鹿児島県桜島で栽培されており、

早生種と晩生種の2種類あるが、栽培されいる物のほとんどは晩生種である。大きさは平均約6kgほど、大きいもので20kgを超える。直径は40~50cm根塊はやや扁球形で数本の浅い溝ができるものが多い。白く表面はなめらかで肉質はきめが細かく一般的な大根に比べ繊維質が少なく、株に近いに肉質である。独特の葉の形状で一般的な大根は葉で品種を見極めるのは困難なのに対し、桜島大根は葉は一般的な大根よりも細いが葉柄がびっしりと隙間なく並び本数が多いのが特徴である。かつては10株に3株という高い割合でできてしまっていた大根内の空洞も長きにわたる品種改良により空洞化が生じにくくなった。

噴火により火山灰と軽石状の荒井砂利を含んだ土で栽培することにより大きく瑞々しい大根に育つ。稲作に適さない桜島で貴重な商品作物の一つであり、桜島本島で収穫栽培されたもの「ほんじま」その他地域で栽培されたもの「いなかじま」と区別されている。全国各地に飾り物としての出荷も目立ち、収穫の際に葉を藁などで縛り葉付きの状態で出荷されている。

桜島大根 キャラ
出典 農畜産業振興機構

地元では桜島大根を「しまでこん」とも呼ばれている。また桜島大根は鹿児島市食育推進キャラクター「でこん丸」のモデルにもなっている。

桜島大根歴史

桜島大根は古くから鹿児島県桜島で栽培されている品種でその起源はいくつかの説に分かれる。

  • 天和年間に愛知県から入手した方領大根の中から変種を発見した選抜していった起源とする説。
  • 桜島の野生種である浜大根の中から生まれたという説。
  • 姶良郡隼人町(現霧島市)付近で栽培されていた国分大根(浜之市大根)を西桜島で栽培していた時に出来た説

この様な3つの説があります。

桜島大根は大和本草(1709年)に「薩摩大根は常のより大なり」と記録されており、江戸時代には大きな大根が作られていた。これが桜島大根かどうかという点は不明であるが、1804年(文化元年)薩摩藩の文書「成形図説」には桜島大根の写生図が記載されており、名称は「櫻島大根」となっており少なくともそれ以前から栽培されていたとされる。また薩摩藩の記録は他にもあり徳川家に贈ったという記録もある。

主産地は古くは桜島北西部だったが、後に桜島北部に移る。最盛期には1200戸の農家で200haの栽培面積があった。かつては毎年収穫期になると加治木町(後の姶良市)に「トイカエ(取り換え)市」と呼ばれる市場が立ち、稲や藁などと交換されていた。しかし1914年(大正3年)の桜島大正大噴火によって大きな被害を受ける。これによりミカンなどの転作が進むなどして1955年(昭和30年)には栽培面積が約30haまで減少している。さらにその頃から2001年に頻発した桜島の噴火により降灰被害を受けさらに1.5haにまで減少することとなる。こうしたことを受け現在の主産地は鹿児島市郊外及び霧島市であるが、桜島の噴火頻度の減少と共に桜島島内の栽培面積も回復しつつある。

2003年にはギネスに認定、2005年(平成17年)に「故郷に残したい食材100選」に、また2008年(平成20年)には「かごしまの伝統野菜」に選定されている。

世界一長い大根品種守口大根

守口大根

守口大根は、直径は2~3cmほどで一般的な長さは120cm程度の長さで、その長さはギネスブックにも認定されており認定された世界一長い大根は191.7cmで2013年(平成25年)11月23日愛知県扶桑町で行われた「守口大根ギネスワールドレコーズ町おこしin扶桑町」で出された後藤雅次さんの守口大根である。ちなみに当時ギネスに大根の長さ世界一そのものがなかったため最低の世界一基準180cm以上が設けられた。ギネス記録を出したことから愛知県扶桑町には守口大根と大きく書かれた二つのシンボルタワーがある。

守口漬け

一般の大根に比べ身がしまっていて硬いため漬物用とされる。守口漬けという漬物に利用され栽培地の名産として知られる。守口漬けは琥珀色で芳醇な香りがあり独特の歯ごたえが良い。普通の状態だと辛みが強いとされている。ただ守口大根は基本的に漬物業者と契約している分しか生産できないので生の物が店頭に並ぶことはない。

守口大根は長すぎて栽培効率が悪く栽培土壌も限られている。水はけのいい適度に砂の混じった柔らかい土質の畑で栽培で栽培することが条件であり、木曽川河畔の良質の砂質大地が非常に条件に適している。長いため土壌を深く掘り必要があり、昔は人力で深く耕すため大変重労働であったが、現在は深く耕すトレンチャーという機会を使っている。収穫する際はハンマーナイフモアという機会で細断してトラクタ(ルートディガー)で土を振動させて抜きやすくしてから抜く。最近では牛蒡収獲機であるハーベスタも使用される様になった。ギネスに認定されるほど長い大根であるが栽培期間は非常に短く3か月ほどである。

守口大根も桜島大根同様生産者が少なく今では非常に希少な大根品種となっています。

大阪府守口大根の歴史

16世紀の室町時代に摂津国の大阪天満宮付近、長柄、橋寺、守口などや大阪天満の鳥居前(最近までは天神筋町=俗称九丁目筋の古名が宮の前)や河内国茨田(まつだ)群守口淀川周辺の畑で栽培されていた。当時は宮野前付近で栽培されていたことから宮前大根と称されていた。初代である大阪の守口大根は1586年(天正14年)に記されておりこれが守口大根が存在した最古の文献である。これは千利休の消息文に記載されている。

1585年(天正13年)守口村に立ち寄って休息をした豊臣秀吉に本陣吉田八郎兵衛(庄屋源兵衛)が漬物を献上したところ秀吉はその味を絶賛し「守口漬け」と名付けたとされている。その後守口宿の名産品となったが大正から昭和にかけての町の発展により衰退した。

2005年(平成17年)頃から再び栽培されるようになり2007年(平成19年)に「なにわの伝統野菜」になった。

岐阜県の守口大根の歴史

17世紀の江戸時代に中国から細長い大根が伝わり、大名などに献上されていた。この細い大根は美濃国長良川沿いの地域(現岐阜県岐阜市)で「ホソリ大根」や「美濃干大根」と言われるようになり当時は主に切り干し大根に使用されていた。明治時代になり宮前大根の衰退とともに美濃干大根が守口漬けに利用されるようになり、いつの間にか美濃干大根も守口大根と呼ばれるようになった。

岐阜県の「飛騨・美濃伝統野菜」にも認定されている。

岐阜の守口大根は第2次世界大戦によって国から食糧生産制限かかったとき、生産禁止となった過去があります。4、5年もの間 1本も生産してはならないという国からの指令でしたが、農家さんはそれでは自分たちの大切な大根が途絶えてしまうからと、隠れて種を守り続け現在の守口大根があるのです。

愛知県の守口大根の歴史

戦後の1951年(昭和26年)に愛知県扶桑町の4Hクラブの会員が守口大根の試作をしたのがきっかけで栽培が始まる。現在では愛知県も守口大根の生産地として知られる。「あいちの伝統野菜」に指定されている。

海外の大根

日本の大根とは違う特色のある海外の大根も何種か紹介します。海外の品種ですが、日本で栽培している所もあります。

『いため大根』日本の在来種と中国大根の掛け合わせ、名の通り炒めて使うと非常に美味しい。

『紅心大根』外が白いものと外が薄紅色の2種がある、切れば中は両方とも紅色の大根、個体により赤みの濃さが違う。中国大根

『黒大根』ヨーロッパの大根。外側が黒い、中は白い。辛みが強く生食される事は少ない大根品種。

大根品種まとめ

聞いた事のある大根でも知らない歴史や特徴があったのではないでしょうか。

大根品種はまだまだあり、亀戸大根、桃山大根、白上がり京大根、辛み大根、和歌山大根等々あるのですが、今回は皆さんが聞いた事のある大根の紹介をしました。今回紹介した以外にも特色のある大根が沢山あります、もし目にすることがあったら、是非触れて食べてみてください。その大根にも数多くの歴史があるはずです。