本日は白身魚の王様とも呼ばれる食材、ふぐについてお伝えしたいと思います
刺し身、鍋、唐揚げなど様々な食べ方がありどれも美味として知られるフグですがその一方で肝臓や卵巣などに強力な毒を持つ事で有名な魚であります。
そんな諸刃の剣ともいえるフグという魚について、フグ歴史、雑学を詳しくお伝えしたいと思います。
ふぐとは??
そもそもふぐとはどんな魚なのかとというのをまず最初にお伝えしていきます。
ふぐとは主にフグ科に属する魚の総称を指します。(一部フグという名前がついていますがフグ科に属さない魚もいます。)
世界におよそ120種類ほど存在をしている魚で、日本近海に棲息しているのはおよそ50種ほどおり、その中でも食用となるのは20種類ほどであります。
なかでも日本人が主に消費しているのはトラフグ、マフグ、サバフグの3種類であり1位はトラフグです。
トラフグは大型のフグで大きいものになると体長70cm重さ10kgにもなり主に刺し身や鍋、白子(精巣)などを食し美味とされる。
フグ名前の由来
平安時代には布久(ふく)または布久閉(ふくべ)と呼ばれた。膨らますことを意味するふくるるから来ていると思われる。フクベは瓢箪(ひょうたん)を意味する言葉でもある。その後江戸時代にふぐという言葉になっていったが、今までの呼び方も浸透していた。その他威嚇で「ブーブー」となくから、膨れた姿が似ているからなど様々な説がある。
また中国で由来とされた河豚とは河口にたくさんいた「メフグ」を指し海豚の文字は「イルカ」がすでにあったため、河の豚として河豚になったという説がある。
また、ふぐ鍋を「てっちり」、ふぐ刺しを「てっさ」と呼んだりするがこれはふぐの事を「鉄砲」(あたったら死んでしまうため)と呼ぶことに由来し、鉄砲のちり鍋から「てっちり」、鉄砲の刺身から「てっさ」と呼ぶ。
下関などでは現在もフグのことをフクと呼ぶがフグは「不遇」につながり、又フクは「福」につながるためこう呼んでいる。
長崎県島原市などではフグの事を「ガンバ」と呼ぶ。
フグの特徴
フグのは見た目も含めて他の魚にはない点がたくさんある魚です。ここではその特性をご紹介していきたいと思います。
・威嚇で大きく膨らむことができる・・・体内に水を取り入れ膨らむ事ができる、また水がない場所では空気を吸い込み膨らむことができるが、実は膨らむことで全く身動きができなくなる為、命がけの行為なのである。
・他の魚と違い肋骨がない・・・このため身はコラーゲンに富み、ふぐの身が固い理由とされている。
・目をとじる事ができる・・・眼の周りに多数の皮褶(ひしゅう)がありカメラの様にして目を開閉することができる。
フグ歴史
フグは古くから存在しその歴史はとても長いです。順を追ってみていきましょう。
フグ歴史 古代エジプト
ピラミッド近くにあるマスタバ(墳墓壁画)に世界最古にフグの絵が描かれている。
この頃フグは食されていたのでしょうか?
フグ歴史 紀元前中国
2300年前に記された中国の「三海経」には「河豚を食べると死ぬ」との記載があり毒性を指摘されている。
フグ歴史 縄文時代
日本での歴史も古く縄文時代の貝塚からもフグの骨が出土していることからこの頃より食されていたとみられる。姥山貝塚の住居後からは5人の住民全員が何らかの急病で同時に死んだような状態のコツが発見されており、この住居後からフグの骨も発見されたことから、ここの住民たちはフグを食べて中毒死したのではないかとみられている。
フグ歴史 安土桃山時代
慶長2年(1597年)慶長の役により豊臣秀吉が朝鮮に出兵した際、ふぐを食して死亡する者が続出したため翌1598年(慶長3年)「河豚食禁止の令」を発布した。
その後徳川氏に政権が代わってからも武家では「主家に捧げなければならない命を己の食い意地で落とした輩」とされ、当主がフグ毒で死んだ場合には「家名断絶」「家禄没収」などの対応がなされた。しかし庶民は武士とは対照的にふぐ食を密かに楽しんでいた。というのも「料理物語」という書物にふくとう汁というフグを用いた料理が記載されていたり、松尾芭蕉や小林一茶など江戸時代を代表する俳諧師も、ふぐ料理を季語にした俳句を残しています。
1774年頃にはイギリス人探検家 キャプテン・クックがニューカレドニアを発見した時にフグ毒にあたり、手足のしべれや脱力感などを航海日記に詳しく記してある。
フグ歴史 明治時代
明治5年(1872年)8月14日の「東京日日新聞」に「ふぐ食を禁じるべき」との投書が掲載されている。
明治15年(1882年)このころより全国的に生河豚の販売が禁止され、フグを食べたものには拘置などの処置を下した。
明治21年(1888年)伊藤博文が下関、春帆楼に宿泊した折、しけのため魚がなく仕方なく出したフグの味に感嘆し、その美味を「一身よく百味の相をととのえ」と表現している。伊藤は山口県令(県知事)に呼びかけ明治21年ふぐ食が解禁され、また伊藤にフグを出した春帆楼はふく料理公許第一号店となりました。その後ふぐ料理は全国的に広がる事になります。
フグ歴史 昭和
昭和初期、戦時中の日本ではボールの代わりにフグの皮を使ったボールを用いたが弾力性がないためバットで当てると割れてしまうのでこぶしで打つという方法を考え、ハンドベースボールとして野球を楽しんだ。
・昭和22年(1947年)食品衛生法が改正され、各都道府県でふぐの販売に関する条例が制定されるようになった。
昭和24年(1949年)東京都では「東京都ふぐの取り扱い寄生条例」が敷かれた。フグ専門の調理師免許を必要とし、専用ゴミ箱に鍵が必要など様々な項目があり違反した場合30万以下の罰金、又は懲役6か月が課せられる。
昭和30年代前半、人工守勢による飼育が実験的に行われ、昭和39年(1964年)に山口県で種苗生産が本格的に開始された。最初は年間10万尾以下の生産量であったが最近では60万~70万尾の生産が可能になっている。
昭和45年(1970年)始めて養殖フグが商品として出荷。
昭和54年(1979年)養殖フグ、市場に流通。
昭和58年(1983年)「フグの衛生確保についての新しい措置基準」により、22種類の販売可能なフグとその部位が示され、それ以外の調理と販売は禁止された。(これまではふぐの肝などが珍味として珍重されフグ調理師がいるお店でも販売されたいたりしたため、ふぐ毒による事故が絶えなかったためである)
フグ歴史 平成以降
平成に入り、1990年代天然フグと養殖フグの生産高が逆転してくる。
平成22年(2010)流通量の96%を養殖が占め、天然物は希少となる。
フグ料理一覧
昔から愛されてきたフグ、その一般的な料理をご紹介いたします。
河豚刺し(てっさ)・・・河豚の刺身を指し、手法により菊盛り、鶴盛りなどの名前が付けられている。
河豚皮刺し(てっぴ)・・・湯引きした河豚皮の細切りで、表面の皮をシャミ皮、真ん中を本皮、最下層の身と一番近いところを身皮と呼ぶ。
河豚寿司・・・食通に人気とされ、店によってはフグノタタキ、焼きフグを使用する。
河豚白子軍艦・・・ふぐ(主にトラフグ)の白子を軍艦にしたもの。
ふぐ鍋(てっちり)・・・淡泊なフグのあじを引き立たせるため昆布出汁と野菜などで作りポン酢で食すのが一般的である。鍋の終わりには河豚雑炊にするとこれまた美味である。
焼きフグ・・・関西方面などでは割と一般的で塩焼きにするほか、たれに漬け込んで焼くなどもします。
ひれ酒・・・河豚のひれをきつね色になるまで焼き、熱燗に入れ軽く浸し、マッチやライターでお酒のアルコールを飛ばし飲む。
白子(精巣)料理・・・主にトラフグの白子を使用。焼き白子や鍋材として用いる。12月から4月までしか取れない為珍重されている。
フグ毒について
フグの毒はテトロドトキシンという毒素でこの毒はテレビドラマなどでよく目にする青酸カリのおよそ1000倍と言われ約2mgで人間を一人殺傷できるといわれている。この毒は水にも溶けず300℃でも分解しないので普通の調理をしただけでは毒素が無くなるということ事はまずないのである。
ちなみに現在では解毒の方法はないため、症状が現れた場合、すぐに病院に連絡をするように。
フグ毒の症状
フグ毒(テトロドトキシン)にあたった際はおよそ30分程度で頭痛、吐き気、唇のしびれ、五感の麻痺、運動不能、血圧降下などがの症状が起こり呼吸困難に陥り、最悪の場合死亡する。
フグ雑学、実はフグ自体には毒はない。
フグの毒は実に有名であるが元々フグ自体には毒はなくフグが成長する過程の中でフグが毒素を体にため込んでしまうのである。
その原理はこうである。まず水中には有毒プランクトンなどの海洋微生物がごく微量ながらテトロドトキシンを作り出しており、それを食べた貝類やヒトデの体に蓄積され、さらにそれを食べたフグの体内に蓄積されるという食物連鎖が生んだものなのである。つまりフグの肝臓が昔珍味として食されていたが全く毒の症状が出なかった人がいるのは、食したフグが毒のため込んだヒトデや貝類を食べていなかったためである。
フグはなぜ中毒症状を起こさないのか?
テトロドキシンは細胞の表面にあるナトリウム・チャネルというたんぱく質に強く結びつくことで毒として作用する。フグはナトリウムチャネルのアミノ酸が変化する構造が普通の生き物とは違っていて、結合できない耐性がある
他にも肝臓の中でテトロドトキシンを排出したり、血漿中のタンパク質と結合して血中の濃度を減少させたりする機能があるため中毒症状を起こさないのである。
フグ毒(テトロドトキシン)の持たない養殖フグの研究
現代では養殖方法の進歩により、毒を持たないフグを育てる事が可能になっており、長崎大学と小川水産は共同研究により無毒のフグの養殖方法を確立、2004年に特許を取得している。また、とらふぐ料理専門店「玄品ふぐ」を運営する株式会社関門海も養殖ふぐを無毒化に成功し特許を取得している。
フグ雑学ことわざや偉人などの言葉
・小林一茶の句
「河豚食わぬ奴には見せな富士の山」
「五十にて河豚の味を知る夜かな」
農民であった一茶は50歳まで河豚の味を知らなかった。
・松尾芭蕉
河豚汁や鯛もあるのに無分別
あら何ともや きのふは過ぎてふくと汁
・北大路魯山人
河豚の美味さというものは実際絶対的なものだ。
河豚の代用になる美食は私の知る限りこの世にない。
海にふぐ、山にわらび、この二つ、じつに日本の最後美食としての好一対であろう。
・ことわざ
「河豚食いたし命は惜しし」
その他にも落語の題材などにも使用されるなど、当時は庶民の間でも大変人気の魚であったことが伺える。
まとめ
昔の人はふぐのおいしさにほれ込み、中毒を起こす危険を冒してでも食していたみたいですが今は安全に食べれる時代です。くれぐれも釣ったフグなどを自ら調理するなんてことはないように。専門店でおいしくいただくのが一番安心安全でありますから・・・