和食ではよく使われる食材のれんこん。縁起物とされ、普段使われおせち料理にも使用されている事が多い食材です。
今回はこのれんこんの歴史を紹介いたします。れんこんは、はるか昔から存在していたとされています。縁起物などになっていて昔の人も食していたかと思いますが、実は日本で食されるようになった歴史は浅いんです。
れんこんなぜ?縁起物
レンコンには複数の穴が空いていて、向こう側が見える事から『将来の見通しが良い』や種が多い事から『子孫繁栄』などの縁起物として扱われます。
また後にも詳しく解説しますが、蓮の花は仏教で『極楽浄土に最もふさわしい花』とされていて神聖な植物とされています。
蓮根の他にも数多くの縁起物とされる食材があり各種様々な意味を持ちます。おせち料理はゲン担ぎの為その様な食材や料理が多く使われています。蓮根もおせち料理の代名詞ですね。『子孫繁栄』や『将来の見通しが立つ』などの意味を持ち使われる事もありますが、これを『矢羽根蓮根』にすると少し意味が変わってきます。
『おせち料理の意味』で詳しく解説していますのでそちらをご覧ください。
れんこん歴史 原産は?
れんこんの原産地は諸説あり、中国やエジプトなどが挙げられています。
食用に関してはインドが初めだとされています。
紀元前から存在していた!?
れんこんの歴史は非常に古く、アメリカやヨーロッパ、日本の福井県などでれんこんの化石が発掘され、白亜紀には存在していたとされています。
白亜紀とは恐竜が存在していた約1億4500年~6600年前です。
日本では2000年以上前の蓮の化石が千葉県で発見されています。ここから弥生時代からすでにれんこんがあったと推測されています、今より肥大化していなかっと考えられています。
この千葉県で発見された蓮の化石は大賀ハスと命名されています。
その他、埼玉県でも古代蓮が発見されていてこちらは行田蓮命名されています。
大賀ハス
1951年(昭和26年)千葉市検見川遺跡の地下に出土品と共に蓮の種子が見つかる。
蓮の権威であった、大賀一郎博士により3粒採取されこの内1粒の発芽に成功して大賀ハスと名付けられました。
千葉県天然記念物に指定されています。
行田蓮
1971年(昭和46年)行田市で新しい焼却場施設建設の為、造成工事を始めました。
採掘によってできた水溜りに蓮が花を咲かせた。この時縄文土器も出土していて、調査したところ2500年以上前のものと推定された。
大賀ハスと違い行田蓮は自然に花を咲かせた。
仏教と蓮根
インドでは宗教との深いつながりもあり、紀元前3千年前から生命力の象徴などとされてきました。
また仏教の世界でも釈迦の誕生を告げて蓮の花が咲いたという逸話があり、仏教の絵画彫刻などで神仏が座っている台座(蓮台という)は蓮の花を指します。
中国や日本でも仏教でいう極楽浄土とは蓮池とされていたので、多くの寺院が境内に蓮池を作ったという経緯があります。
蓮華(れんげ)と言う言葉がありますが、これは蓮華とは蓮や睡蓮の総称です、仏教の伝来とともに中国からやってきた言葉で泥沼に生じて美しい花を咲かせることから、古来より仏の悟りをあらわす仏教のシンボルとして扱われてきた言葉です。
れんこん歴史 日本に伝来
蓮の根がれんこんだと思ってしまうかもしれません。しかしれんこんは蓮の茎の部分です。『蓮根と蓮違い』で詳しく解説していますのでそちらをご覧ください。
大賀蓮や行田蓮の存在から日本にもはるか昔から存在していたとされるが食用部分の地下茎が今ほど肥大化していなかったとされる。
奈良時代ごろになり観賞用又は食用として用いられるようになったと考えられており、それはこの頃に中国や朝鮮半島の百済から6世紀半ばに仏教と共に伝来したものと考えられている。
万葉集や古事記にレンコンの記載があるため、この時代と考えられている。
食用としてのれんこん
鎌倉時代に僧道元らにより持ち帰られた品種が食用となり、日本各地へ知れ渡る事となり現在の在来種となった。
奈良県では明治維新(1868年)の3年前にあたる1865年(元治2年)には春日大社に蓮根農家らによって「河州蓮屋中」と刻印された石灯籠が奉納されています。現在も蓮根農家の有志の方々が春日大社に地蓮を奉納する「河内蓮根奉納行列」を行っています。
しかし今私たちが食べているれんこんは鎌倉時代に持ち帰られた品種でなく、『中国種』と呼ばれる明治時代に中国から導入された品種です。在来種に比べ地下茎が地面の浅い田んぼなどで栽培できることから収穫がしやすく、収量も多いことから在来種にとって代わり全国的に普及するようになりました。
この中国種が改良されたものが現在の主流となり、私たちの食卓に並んでいます。
戦後から現在のれんこん栽培について
明治時代から昭和初期まで蓮根農家は収入源として蓮根栽培を拡大していったが、戦後になると近代化によって都市部では蓮根栽培が激減し、逆に茨城県や徳島県、山口県などの地方では生産量を伸ばしていった。
戦後政府の米栽培の推奨から、収量の劣る在来種を栽培していた農家などは米の栽培に切り替える事例もみられた。
現在でも在来種は各地域に根付き地域の特産品、ブランド品種などとして栽培が行われているが、在来種を栽培する農家の高齢化などから年々減少の一途をたどり、各地で栽培農家不足が問題となっている。
その一方で中国種の栽培に関しては在来種に比べると栽培農家問題は深刻ではなく、その他の野菜とほぼ同等と言えよう。
日本ではおせち料理などにも使われ親しまれている食材ではあるが、海外を見てみると食用とするのはアジアのみと言って過言ではない。